キリスト教徒となり救いの確信を得たこと、それが人生最大の祝福

聖書の言葉

私は35年以上にわたり、女性服の製造や中国での工場経営、日本を拠点としたグローバルな貿易事業に邁進してきました。事業の拡大とともに仕事に没頭し、神よりも成功や己の力を頼りにして生きていたのです。

しかし、コロナ禍がすべてを一変させました。渡航制限により日本に戻れない中、癌を発症。病院に通うことすら困難な状況で高額な治療費が重なり、生産中断で収入が絶たれても従業員の給料は払い続けなければなりませんでした。放射線治療を受けながらも「取引先の信頼を失うこと」を恐れ、病床でも納期の調整やトラブル対応に全力を注ぎました。

当時、私を支えているのはビジネスだと思っていました。しかし、ふと一つの疑問が浮かんだのです。 「一生守ろうとしてきたものは、本当に私を守ってくれるのだろうか?」 お金も事業も人の評価も、私を救ってはくれませんでした。しかし今振り返れば、神様が私の頼っていたものを一つずつ手放させ、ご自分だけを見上げるよう導いてくださっていたのだと分かります。

2022年12月、ようやく日本に帰国できたものの、さらなる試練が待っていました。夫がコロナに感染して入院し、面会も叶わないまま、わずか2ヶ月後に帰らぬ人となったのです。70日後に骨壺となって戻ってきた夫に、最後の挨拶も手を握ることもできませんでした。深い喪失感の中で、私は自分の力では二度と立ち上がれないことを知りました。

夫が去って約40日後、神様が私の人生を訪れました。妹から送られてきたYouTubeの説教に慰められ、導かれるように近所の教会へと足が向いたのです。 「あなたがたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだのだ」(ヨハネによる福音書15章16節) まさにこの言葉通り、神様が先に私を見出してくだいました。

世の価値観に追われ、何百年分もの財産を求めて走っていた私が、力を失い完全に空っぽになったとき、初めて神様の恵みと命で満たされました。私の救いには何の功績もありません。だからこそ、救いの確信があります。

救いとは単なる観念ではなく、イエス・キリストの十字架によって神の子へと身分が変わる現実の出来事です。癌も、愛する人の喪失も、涙も、神様は私をご自身のもとへ導くために使われました。

今、世の中の豊かさの中にはなかった真の平安が心にあります。キリスト教徒となり、救いの確信という贈り物を受け取ったことこそ、私の人生最高の祝福です。すべての栄光を神様に捧げます。

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