こんにちは。「恵みのしずく」へようこそお越しくださいました。
現代を生きる私たちは、常に「富」や「成功」という言葉に囲まれています。SNSを開けば、誰かが手に入れた豪華な暮らしや、華々しいキャリアの成功が目に入り、知らず知らずのうちに自分と比較して焦りを感じてしまうことはないでしょうか。「もっと稼がなければ」「もっと成功しなければ、自分の価値がないのではないか」という欲望と不安は、私たちの心を簡単に支配してしまいます。
しかし、聖書は私たちに, 世の中が定義する成功の基準とは全く異なる、温かく、そして本質的な視点を示してくれています。今日は、私たちが抱く「富と成功への欲望」について、聖書の二つの御言葉を通して、神様が私たちに語りかける真のメッセージを共に分かち合いたいと思います。
1. 与えられた「役割」に誠実であること(コリント人への手紙 第一 4章2節)
まず、私たちが世間の言う「大成功」に縛られそうになるとき、立ち止まって読みたい言葉があります。
「この場合、管理者に要求されることは、忠実であることです。」(コリント人への手紙 第一 4:2)
聖書が語る「管理者(スチュワード)」とは、自分自身の命や時間、才能、そして家族や仕事を、神様から一時的に委ねられた大切な「預かりもの」として管理する人のことです。
世間は「どれだけ大きな成果を出したか」「どれだけ高い地位に就いたか」という結果だけで人を評価します。しかし、神様が私たちに求めているのは、結果の大きさではなく、与えられた場所でどれだけ「忠実(誠実)」であったかというプロセスです。
私自身、20代半ばから事業を始め、40年近く必死に働き続けてきました。当時は大きな野望があったわけではなく、ただ家族を養い、目の前の責任を果たすために、必死に「努力」と「誠実」を武器にして走り続けました。振り返ると、その必死な歩みこそが、神様から委ねられた「管理者としての務め」であったのだと感じます。
あなたが今、置かれている場所がどんなに小さく見えても、そこで誠実に一歩を踏み出すこと。神様の目には、その忠実さこそが何よりも尊い「成功」なのです。
2. 富を得る力は神様から与えられる(申命記 8章18節)
次に、私たちが経済的な活動をする上で、決して忘れてはならない強力な御言葉があります。
「あなたの神、主を心に留めなさい。主があなたに富を築く力を与えられるのは、あなたの先祖たちに誓った契約を、今日のように果たすためである。」(申命記 8:18)
私たちが一生懸命に働いてお金を稼ぎ、生活を安定させるとき、どうしても「自分の力で成し遂げた」「私の努力の成果だ」と傲慢になってしまいがちです。しかし聖書は、その「富を築く力(能力、健康、機会)」自体が、すべて神様から与えられた恵みであるとはっきりと語っています。
これを知るとき、私たちの心から「失うことへの恐怖」が消え去ります。なぜなら、私の人生の土台は、移り変わるお金や世間の評価ではなく、その力を与えてくださる「神様」という揺るぎない源泉にあるからです。
また、神様が私たちにそのような力を与えてくださる理由は、単に自分一人で贅沢をするためではありません。「契約を果たすため」、すなわち、周りの人々を愛し、家族を支え、困っている人に温かい手を差し伸べるという、神様の愛をこの世に具現化するためなのです。
世の目から神の目へ:欲望から平安へのシフト

「もっと欲しい」という欲望は、終わりがありません。それは、底の抜けた器に水を注ぎ続けるようなものです。しかし、神様の目に留まり、神様の基準で生きるとき、私たちの心には不思議な「足るを知る平安」が生まれます。
- 世の成功: 絶え間ない競争、他者との比較、失うことへの不安
- 神の成功: 与えられた役割への忠実、神の恵みへの感謝、分かち合う喜び
40年間の忙しい旅路を終え、人生の列車から一歩降りたとき、私はようやくこの真理を深く理解できるようになりました。私たちの価値は、所有している財産の多さではなく、神様の愛の中に包まれているという事実そのものにあります。
このブログを読んでくださっている皆さんが、今日一日、世間の騒がしい基準からそっと目を離し、あなたを緑の牧場へと導いてくださる良き羊飼いを見上げて、真の心の安らぎを得られますようにお祈りいたします。
今日も、神様の豊かな恵みがあなたの上に注がれますように。


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